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« 最終的に言うならば、 | 恋し慕う »

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独白

「夢、ユメ、ゆめ、」

 使用法は確か病人を寝かす為のものである筈のベットの上で現実味の無い言葉を記憶から手繰り寄せる様に繰り返してみれば、尚更現実を感じさせない言葉だなあ、と地味な感想を抱いた。勿論其の呟きには意味も無く、行動にも意味は無く、自然と、ゆっくりと、無意味な行為へと変わって行くのをぼんやりと見送るしか無いのだけれど、嗚呼、…そもそも其の無意味な呟きは一体誰に対してのものなのか?(自分に対してのものなのか、)(それとも若しくは彼の青年に対してのものなのか、)そんな事は此の俺にだって全くもってさっぱり判らない事だが、矢張り第三者から見た時、話し相手も、誰も居ない此の部屋での呟きは“独り言”として受け止められ、断定され、成り変わるのだろう。(嗚呼、そんな“寂しい人”というイメージを抱かれるのは嫌だなァ、)と、(其れは誤解だ、)と、少しだけ憤慨しながらそう思うが、自分自身、(嗚呼、俺って“寂しい人”だなァ、)とも思ってしまっている以上きっと否定も出来ず、肯定も出来ない筈だ。いっそ熊の人形とでも話せば全く別のイメージを抱かれるのだろうが、其れは俺にとって良い汚名で在るか否か、明らかに後者だった。…あれ、そういや大体俺は如何して“独り言”を言ったのだったろうか?(今夜の晩ご飯の事でだったか、)(其れとも明日の朝ご飯についてだったろうか、)…嗚呼、そうだ、“夢”だ。夢、夢、夢。“夢”というものは本来願望や希望、此から起き得る出来事、はたまた現実での悩みを見ると謂われているらしい(此は前に誰かから聞いたのだけれど何処かうろ覚えであるのは、真面目に聞いていなかったからだ)。そう謂われてみれば確かに人が見る“夢”とは空を飛ぶだの、空から落ちるだの希望に溢れる素敵で華麗な“お前そんな願望持っているのか恥ずかしい”と笑い飛ばしてやりたくなるものばかりだ(俺にして見れば其れは単なる現実逃避なのだけれど)、しかし誰もが此の時点でお気付きの様に、希望が在るから絶望が在る様に、善が在るから悪が在る様に、幸せが在るから死合わせが在る様に、確かに、明らかに、此の世界には“悪夢”というものも存在しているのだ。
 さて、ならば希望を見たくて、願望を叶えたくて“夢”を見るのならば“悪夢”は如何して見るのだろうか。仮に矢張り“夢”と同じく願望や希望かと謂う仮説を立ててみるが其れは無いだろう、あんまり過ぎる。唯でさえ現実は苦痛と悲痛を伴うというのに夢に迄も苦痛も悲痛も求める奴はとんだマゾヒストか悪趣味で正直お近づきになりたくないタイプだと断言してやりたいが、嗚呼、喪しかしたら、若しくは、此の説は一理在るのかもしれない、と。(何せ夢が幻想ならば、悪夢は現実なのだ)(何せ夢がつくりものならば、悪夢は本物なのだ)“夢”はどんなに現実離れしていようとも想い出、過去、記憶が無ければ紡がれる事は無い、其れが“悪夢”も同じだとするならば、人は喪しかしたら其れ等を忘れたくないから“悪夢“を見るのだろうか。想い出、過去、記憶其のフラッシュバックが“悪夢”だとするならば、人は喪しかしたら其れ等を忘れたいから“悪夢“を見るのだろうか。嗚呼、矢張り其れも俺には全くもってさっぱり判らない事だった。

「俺は夢、見ないしね」

と、其処で自分が全部口に出していた事に気付いて(何という盛大な独り言だろうか、)何て思いながらベットから起き上がる。此の呟きには意味も無く、行動にも意味は無く、自然と、ゆっくりと、無意味な行為へと変わって行くだけだというのに如何して俺はこんなに無駄な時間を過ごしたというのだろう、取りあえずベット脇の熊の人形に別れを告げ“寂しい人”から“痛い人”レッテルに張り替えてからギシ、と軋むベットを後にする事にする。

嗚呼丁度良い、そろそろ物好きな奴等も此の病院に来る頃だろう。弄り甲斐の在る少年、虐め甲斐の在る少女、最後の一人である青年はいちいち話の腰を折りやがるので話し相手には向いていないが遊ぶのには向いている。さあ、診断を始めようか。
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